ゴミ捨て場

男(28)の日常の感情を捨てていく場所です。

優しさと思いやりと

どんな人が好きかという質問に

 

思いやりのある人

 

と、答えた友達

 

 

なるほど、優しさと思いやりは違うということですね、なるほど

 

たしかに人に優しくする時は、

優しくした人から、あなた優しいですね、って思われたいから優しくしてます

その人のことを思って行動をした訳ではないから、

思いやりがある行動ではない、ということになる

 

まあでも、結果的に優しくしてるんだからいいんじゃね?と思わなくもないけど

 

たまーーーーーにいる本当の善人に憧れる

 

きっとその人はいろいろ損してるんだろうけど

 

真面目に生きていることがなんちゃらかんちゃらって

NGT48の女の子が言ってたけど、その通りだと思います

 

生きる意味

自己承認欲求の爆発

 

生きる意味を見出すのは難しいです。

生きているなーと思うことはあまりないです。

生きながらえているという表現が正しいかもしれない。

 

生きながらえてる、

どちらかというと、死んでいないだけ、

的な

 

どうやって今この瞬間の自分の存在をみんなは証明しているんだろう。

 

不思議に思います。

承認欲求なのか

自分は承認欲求の塊だなーと思うことが多いです。

仕事でもプライベートでも褒められると嬉しい。

 

彼女が欲しい、と友達に言うと、

作る気ないでしょ、と返される。

彼女が欲しいわけではなく、

自分のことを好きな人が欲しい、という方が正しい気がします。

 

自分だけで自分を成立させることができる人が羨ましいです。

趣味に没頭する生活、とか。

 

他人からの承認無しでは自分を成立させられないのは何故なんだろうと思います。

大袈裟に言うと、生きている意味が見出せない、くらいの気持ちです。

そのツールとしての、彼女、なのかもしれません。

 

 

趣味でダイビングをするのですが、最初ダイビングをした時すごい怖かったのを覚えています。

息ができなかったら、機材が壊れたら、溺れたら、とかの怖さとはまた違う怖さ。

 

ずーっとその怖さの理由を考えていた時に、自分の中にある承認欲求に気づきました。

 

海の中にいると、あまりにも海が大きすぎで、地球上のどこにいるのかがわからなくなります。物理的に自分の場所を見失ってしまいます。

 

そして、海の中は言葉が通じない空間です。

もちろん手で出すサインはあるので、「苦しい」とかそう言う簡単なものは伝えられますが、

細かな変化は伝えられません。

名前を呼ぶことすらできません。

相手が自分のことを自分と認識してくれてるかどうかがわからなくなってしまいます。

 

なんかの授業で、

名前をつけることで人はそれがその物であることを認知できる、

ということを聞いた気がします。

 

「空はなぜ青いのですか?」

「それはあの色を人間が『青』と呼ぶことに決めたからです。」

 

 

海の中は、物理的にも、精神的にも、自分の居場所がわからなくなってしまうから、

私はダイビングが怖かったんだなあ、と結論付けました。

 

 

承認欲求。

エゴの権化みたいなこの感情とうまく付き合っていく方法を探しています。

 

心が閉ざされた

今年27歳になる社会人ですが、

周りは結婚をし始めています。

 

この歳で彼女もおらず、色々とこじらせているわけですが、

最近ふと思うことが。

 

結婚式がどうも苦手です。

 

お互い知らなくてもいいこと、というのは大人なので当然あります。

歳をとればとるほどそれも増えていくと思います。

 

出会う年齢が高ければ高いほど、お互いの知らない期間が増えていくのも当然ですが、

 

そういう人とどうして結婚できるのかなあ、と思ってしまう自分がいるわけです。

 

 

社会人になって出会ったいい人と結婚をする、とても素敵です。

でも、

それまでの人生を何も知らないことをどうも気持ち悪く思ってしまいます。

 

例えば、

散々遊んできた過去があるのに、それをお互い隠して付き合って、

お互いはお互いのことを、そんな人と思わず付き合って結婚していくという。

 

結婚生活をしていく上で、そんな汚い部分はお互い当然知らなくていいのでしょうが、

 

その人を形成する上で大切な要素だったことには変わらないはずなのに、

 

それをあたかもなかったのように振り返る結婚式がどうも苦手です。

 

 

じゃあ結婚しなきゃいいじゃん、と言われればそこまでのお話ですが、

それもわかっていますが、

そう思ってしまう、というお話です。